井上智さん/ジャズギタリスト/アメリカ・ニューヨーク

井上智さん プロフィール

「音楽家に聴く」というコーナーは、普段舞台の上で音楽を奏でているプロの皆さんに舞台を下りて言葉で語ってもらうコーナーです。今回はニューヨークでトッププレーヤーとしてご活躍中のジャズギタリスト/コンポーザーの井上智(イノウエサトシ)さんをゲストにインタビューさせていただきます。「ニューヨーク・ギタリストが歩む道」をテーマにお話しを伺ってみたいと思います(インタビュー:2005年9月)。

ー井上智さんプロフィールー

ジャズギタリスト井上智さん
井上智さん

神戸出身。同志社大学在学中から関西を中心にライブハウスやコンサートで活躍。1989年、ニューヨークへ渡りニュースクール大学ジャズ科でジム・ホールに学び音楽的・精神的に影響を受ける。同校卒業後、ニューヨーク市立大学院でロン・カーターに学ぶ。以後、ニューヨークのジャズシーンで、ジム・ホール、ジュニア・マンス、フランク・フォスター、バリー・ハリス、ジョン・ファディスなどのトップ・ミュージシャン達と共演。教則ビデオ「ジム・ホール/ジャズギター・マスタークラス」全三巻、「マジカル・ギター・テクニック/ビル・フリーゼル」の音楽監督を務める。現在、ニューヨークで最も注目されているギタリストの一人として活躍中。ニュースクール大学ジャズ科講師。ジャズライフ誌に「毎月増えるスタンダード」を好評連載中。現在までにリーダー・アルバムを 4枚発表。


—  最初に、音楽に興味をもったきっかけを教えていただいてよろしいですか?

井上 家に音楽が、レコードが普通にかかっていて、兄貴がフォークソングを聞いたり、親が音楽好きだったので普通に家に音楽が流れていたんですね。それで普通にレコードを聞いたりしていました。オルガンは習いに行っていたかな。ヤマハ教室に。そんなにまじめにやって無かったですけどね。

—  勉強みたいな感じでしたか?

井上 お習い事という感じ。子供の頃に。小学生三年の話ですね。すぐやめちゃったけど。

—  すぐやめちゃったんですか (笑)

井上 ほんま二、三年で辞めたかな。それから、高校行きだしたぐらいでやっぱりロックに目覚めたかな。親戚のいとこが同じ高校に行っていて、僕が一年の時、文化祭の体育館でロックバンドとして演奏したんです。それがすごくてがーんとショック受けて。それ結構大きいですよ(笑)。

—  本当ですか (笑)

井上 それで高校二年の時ロックバンドやりはじめたんです。

—  音楽に目覚めたけれど、井上さんは音大とかではなく、いわゆる総合大学に行っていますよね。

井上 同志社行きましたね。

—  その時は音楽のプロになる気だったのですか?

井上 全然、そんなまさに今自分がやっていることをやろうという計画は全然無くて。

—  本当ですか。

井上 なんか僕らの頃って、勉強させられてとりあえず大学行けみたいな感じあるじゃないですか。あまり将来の事考えずに。まあ行ってから考えろみたいな。で、同志社行ってそこで軽音楽同好会に入りました。そこでロックやりだして。

—  そこでもロックだったんですか?

井上 ロックですよ。

—  ずっとロックですね。

井上 ずっとロックです。ロックなんですよ。

—  それは面白いですね。

井上 面白くないですよ。昔はもう大体一緒。ロックからみな入ります。ロックギタリストが多かったんです。今はそんなにロックギターは人気ないかもしれないけど。その頃は若者がバンドやるし、ハードロックとか。まあぼくがやってたんはブログレ。

—  ブログレですか。

井上 ちょっとクラッシックも入ってたり、ジャズの要素も入ってたけどいろいろ面白い感じで。

—  なるほどなるほど。その時も作曲とかもされていたんですか?

井上 いや。してないですね。

—  じゃもう完全にコピーバンドという感じですか?

井上 コピーバンドですね。

—  でその後にずっとこうだんだんジャズに興味をもっていくと思うんですけど。

井上 ええ。それでなんか大学四年ぐらいの時かな。なんか音楽やりたいなというのがあって。

—  それは、プロとしてですか?
 

ニューヨーク・ジャズギター
音楽でささやく

井上 プロとしてです。普通に就職したくないなというか、反抗期がその頃から。なんか、ちょっとこのまま就職してはいかんのではないかなと思って。そして、まじめに音楽やギターをやってみたいなと思って。で、その頃にジャズスクールに行きだしのかな。

—  そうですか。

井上 なぜジャズスクールかというとやっぱりその頃クロスオーバーが、今でいうフュージョンかな。クロスオーバーが流行っていて、興味をもったんです。それは結局ロックとジャズのクロスオーバー、ロックとジャズのフュージョンだった。それで、これはちょっとジャズを勉強しなきゃ理解できないと思ったんです。京都のジャズスクールに行きだして、そうこうしているうちになんか演奏の仕事が入ったんですね。

—  いきなりですか。相当優秀ですね。

井上 とんでもないです。ジャズスクール一年くらい行って、その一緒に行っている人がキャバレーで演奏してて、ちょっとやると言うので僕が一緒について行ったら、君明日からおいでって他のバンドで言われてしまって。そのまま就職せずに大学は卒業してしまったみたいな感じですね(笑)。

—  就職活動もせずに。

井上 全然してないです。そのまま卒業してしまった。

—  その後、どのように渡米しようと思ったんですか?

井上 京都でいろいろライブハウスみたいなところでやったりしてて、まあジャズに、フュージョンよりもジャズそのものに興味を持ったんですね。まず25歳くらいのとき1ヶ月だけニューヨークにひたりに行ったんです。

—  音楽にひたりにですか?

井上 音楽にひたりに行ったんです。ジャズを聞こうということで友達と行きました。30日滞在のうち毎日毎日、よなよな出かけてのジャズ三昧でした。それはもうジャズクラブとかコンサートとかいろいろです。

—  毎日。30日間ですか?

井上 30日あったから、40回くらい聞きにいきましたね。昼間もライブ聞けたりするから。観光客ならではのパワーですね。

—  どうでした?その時。

井上 いやもうすごかったですよ、カルチャーショックが。結局外国も初めてだったからそういうのも全部含めて文化の違い、言語の違い、音もすごいし。

—  それはやっぱりもう自分には持ってないというものがやっぱりあったんですか?

井上 いやもうそれは全然持ってない。

—  なるほど。

井上 すばらしいプレイでしたね。

—  本当にそうですよね。すばらしいプレイヤーが目白押しでいますもんね。ニューヨークというところは。

井上 日常でやってますから。

—  なるほど。

井上 まあショックを受けて帰ってきたんですね。

—  その後どういうふうに?

井上 また関西でずっと演奏ライブやってましたね。また、ギター教えたりしながら。その後再度、ニューヨークに6ヶ月行ったんですよ。4年くらいたってからかな。

—  ずいぶん時間があいたんですね?

井上 そうですね。85年やったかな。日航機が落ちたときかな。阪神が優勝したときです。その頃だと思います。その時に当時の観光ビザで最高が6ヶ月だったかな。ちょっとまあ6ヶ月だから生活になりますよね。

—  ええそうですね。

ニューヨークでひた走るジャズギタリスト
ニューヨークでひた走るジャズギタリスト

井上 その6ヶ月でまたいろんなハプニングがあったというか。1回目行ったときはわりと聞くばっかりだったけど、2回目は実際、ブルーノートで演奏する機会とかあったんです。

—  へえー。

井上 ストリートミュージシャンをやったり。ブルーノートにちょっと日本人フェスティバルみたいなのやっていたり、ハーレム行ったり、いろんなところで演奏で花開いたというか。

—  それはどうやってこう、なんと言うんですかね。自分を…

井上 売り込んでいったかということですか?それはもうジャムセッションとかありますから。当時ブルーノートのジャムセッションに入っていましたしね。特に楽器を持ってジャズをやる、そういう場所が今でもありますけども、今より多かったかもしれませんね。そういう所に行くと同じ志の人達が集まっているわけですよね。世界中から。で、いろいろ情報交換して、そしてまた仕事でギターが要るからお前やれとか、そういうことが結構ありました。それでなんか俺ひょっとしたらニューヨークでいけるかも。なんかいけんじゃないかな、みたいな、そういう幻想をいだかせてくれたというか。

—  へえー。すごい。

井上 ラッキーだったんです。

—  ラッキーだったんですか?

井上 はじめに一ヶ月行ったときの下見があったから立ち回りもよくて、それなりにできましたしね。最初の1ヶ月、その後の6ヶ月のニューヨーク滞在の間に京都で自分でも演奏していましたからね。

—  それをニューヨークで再現ですか?

井上 ニューヨークで通用したこともあるし、通用しなかったこともある。まあそれでもいろいろ演奏の機会はあったんですね。

—  それで音楽でいけるなというふうに思ったんですね?

井上 通用するというか、まあ、ここで何とかアルバイトしたりとか、何とかなるんじゃないかみたいな感覚でしたね。生活して音楽勉強していくことが出来るんじゃないかみたいに思っていました。ただ、6ヶ月行って帰って来た時は、そんな計画は無くて、またやっぱり行きたいなというだけでしたけど。

—  そうなんですか?

井上 ニューヨークで生活しようなんか、そういう発想はなかった。

—  そうなんですか。

井上 ただ6ヶ月行って、なんとかなりそうなんかな、とかそんな気がしたんですね。そしてその後やっぱり関西に戻って演奏してました。しばらくして、もう一度、行こう。アメリカに行くなら今のうちだぞ、みたいな。どんどんいろいろ関係が出来てきてだんだん動きにくくなってくるでしょ。若いうちかなということで。

—  渡米をしたいと決めたのはどんなことですか?

井上 やっぱり6ヶ月のニューヨーク滞在がすごい自分の中にあったんやろうね。そこでいろいろな何かがパンと開いたんです。チャクラが開いたというか。やっぱり自分を鍛えたいというか、多分6ヶ月いたときに、短期間の6ヶ月しかいないというふうに自分で決めているから、すごい自分で動き回ったんだと思う。

—  生活でだらだらするのではなくて、音楽活動することを決めているから。もうがーんと来たわけですね。

井上 さあ行くぞ。やるぞ。みたいな。気合が入ってたんでしょうね。結局そういう新しい自分を見たのもあったのかもしれん。自分で自分に驚いたというか。自分がそういう環境にあると頑張る。ニューヨークで頑張る。ちょっと逆境といったらおかしいけど、言葉もそんなに流暢に通じるわけじゃないし。そういうところに自分を置くと、逆にこう頑張るというのがあるのかみたいな。そういう性格というかね。そんなこともあって、ニューヨークにもう一回行きたいというのは持ってたわけです。行くのだったらはやめに2、3年行って勉強して、帰って来ると。2年という事やったんだけど、これが今引き継いで16年(笑)

—  なるほど。最初は音楽学校に行かれたんですか。

井上 いや。それが行ってないんですよ。

—  音楽学校に行ってないのですか?

井上 行ってない。一年くらいは。ビザが丁度、切れる頃にやっぱりこれは音楽学校でビザ出してもらおうかということになって、ニュースクールに行ったのですね。

—  ジャズを学ぶには非常にいい学校ですよね。

井上 ビザだけのためにいったんですよ(笑)。

—  ビザだけのためとは思えない位、いい学校ですけどね。

井上 僕も良く知らないから(笑)。行ったらとても良かったですね。それでこれはもう卒業しようと思いました。

—  そこで恩師に会われたわけですか?
 

ジムホールと井上さん
ジムホールと井上さん

井上 そこで恩師に会いました。ジムホール大先生に。

—  なるほど。そうやって、だんだんアメリカ人を中心に外国人と演奏活動を主にやり始めるわけですよね。日本人と演奏する場合と、外国人と演奏する場合の違いはありますか?

井上 あんまり違いないですよ。

—  ないんですか?

井上 ない。相手が日本人だったら日本語でコミュニケーションするだろうし、アメリカ人だったら英語でする。それだけの違い。

—  ニューヨークに住んで、一番受ける音楽的な影響というのはどういうものでしたか?

ジムホールと井上さんの打ち合わせ
恩師ジムホールとの打ち合わせ

井上 いい影響も悪い影響もあるでしょうね。都会ですから。結局たくさんミュージシャンが集まっている所でやるわけですよね。他の分野のアーティストも含めて、結局層が厚い。たくさんのミュージシャンが切磋琢磨しておる。となるといろんな所でいろんなミュージシャンがいて、又レベルも高いし。まあ低い人もいるんですけれども、結局上から下までのレンジが広い。層もジャンルも。本当にそこらじゅうで日常に音楽が溢れているというかね。だからそういうところに自分を置くことによって、自分で自分のケツをたたくことが出来るかなみたいな。もともとレイジーな性格ですから。それに、学校に行って、ジャズギターだけでなく総合的な音楽の歴史とか、理論もそうですけれども勉強しなさいと言われないとしない科目ってありますよね。例えばコンポジション(作曲)だったり、イヤートレーニングだったり、ミュージックヒストリー、ジャズヒストリー、アンサンブル、アレンジメント、編曲ですね、そのような科目も良かったですね。ジムホールとかそういういい先生に出会えたというのも、ニューヨークでないと実現しない影響というのでしょうか。それと、もっと練習しないといかんなみたいな(笑)。

—  ニューヨークに行くミュージシャンの方はもっと練習しなきゃいけないと思うようですね。

井上 なんかミュージシャンは一日じゅう音楽の話をしてるみたいなところがある。人のライブ聞きに行ったりとか、自分で演奏したり。歴史的にジャズの大きなムーブメントが起こった町ですからね。そういうのが残っているんでしょうかね。雰囲気、空気がね、ジャズの。

—  日本にいたら受けにくい刺激ということはあるのでしょうか?

井上 わかりやすい話で言えば、アメリカ人がお琴を学ぼうとしたら、たぶん日本に行くみたいな。アメリカでも邦楽は学べるやろうけど、日本にいったらその周りにある文化や背景や歴史もね。

—  なるほど。文化とか言葉とかそういうもの全部すべてを一緒に学びに行かないと分からないということですもんね。

井上 そうですね、ジャズの場合アメリカで生まれた音楽ですし、まあ層が厚いですよね。層が厚いというかほんと豊富ですよね。そこらへんにあるわけだから。そういうところにミュージシャンが集まるし、世界から集まってくるし、そこでこう刺激を受けるんかな。

—  一番影響を受けたのはジムホールですか?

井上 いやもうジムホールのレッスンは目からうろこですね。もともと自分がジャズ、やりだすようなきっかけになった人ですから。

—  井上さんは、音楽というもので自分を見出していったと思いますが、その音楽やジャズというのは井上さんにとって何でしょうか?
 

ニューヨーク・ジャズギター
さまざまな思いを胸に。

井上 自己表現の手段。自己表現の手段やし、それはまた自分が演奏したり作曲したり演奏する時にミュージシャン、他のミュージシャンと美の追求を楽しむというか、何かを作りまたオーディエンスとも一緒に作り上げるという楽しみでもありますよね。いまや自分にとってそれが生活の糧でもありますけど(笑)。

—  そうですよね。

井上 そうはいっても結局、音楽に出会えてよかったと思いますね。ジャズに出会えて。

—  音楽は言葉で言えるようなことではなく、お客さんに聞いていただいて、こういうことを自己表現したいんだなというふうに分かって欲しいということですよね。

井上 そうですね。結局メッセージがあっても音で伝えるわけですから。小説家は小説で表現するし、ミュージシャンは音楽で表現するんですね。

—  一流のプロになられて、今後の人生まだまだありますけれどもどういうような夢をもっていらっしゃいますか?

井上 ミュージシャンとして、ギタリストとしてもっともっと成長したいですね。あと作品発表したいし、アルバムも作りたい。今の自分のバンドでもっと活動したいですね。

—  なるほど。海外でミュージシャンをやって活躍する秘訣、成功する秘訣ってあるとお考えですか?

ニューヨーク・ジャズギター
ジャズギターにかける思い。

井上 成功する秘訣があったら教えて欲しい(笑)。まあ自分がやっている経験から言うと、そうですね、いいものをよい形でプレゼンし続けたらいいんじゃないですかね。結構、日本でもそうだと思いますけど、頑張るというか、すぐ結果は出ないけども、やっぱり長く続けることじゃないですか。長く長く続けられるような環境に自分を置くことが大事ですね。あとやっぱり、実力社会でははったりのないところでの実力がいるし、また一人だけでは音楽はできないので人間関係もあるし、そのへんをクリアしつつ、自分を積極的に動かす。特にニューヨークなんかでは積極的に動けば割とレスポンスがあると思います。なんかいっぱい若い人が来て、まあ僕もまだまだ若いと思っているんですけど、いっぱい20代の人が来て良く相談や、ギター教えてくれとか来るんですけどね。でも頑張って自分の殻打ち破ってそこに行こうという人はやっぱり、そういうパワーを逆に俺がもらっている気がする。友達ばかりで集まってしまってなんかするんじゃなくて、知らない人とも出会って新しいネットワーク作ったりすると良いでしょう。

—  なるほど

井上 やっぱりニューヨークは人に会う場所でありますよね。僕も学校に行ってよかったのは、同じような事考えているいろんな人に会うことでしたね。

—  なおかつその学校以外でもいろいろな所にジャムに行ったりですよね。

井上 そう。ジャムに行ったりとかね。学校に行っていると、まあ忙しいですけどね。宿題とか。それに、秘訣というのは多分自分のスペシャリティーというのを知ったらいいんやろうね。

—  スペシャリティー?

井上 自分しかないこととか、自分の切り口といったらおかしいけど、そういうのあるでしょ?

—  他のミュージシャンと差別化するということですか?

井上 差別化というかミュージシャンだけではなく、例えば自分が映像の得意なミュージシャンだったらそういう切り口とか流れとか、コンピューターの操作が得意とかそういう自分のスペシャリティーを何かみせれるということだと思います。

—  海外で勉強したい留学をしたい、短期も長期もいらっしゃると思うんですけど、そういう方に何かアドバイスみたいなものがあれば教えていただいてよろしいですか?

井上 すごい応援しますよね。やっぱりいいことだと思います。見聞を広めて。アドバイスとしては、その留学する国の言葉を事前に出来る限り勉強しておくと、時間的に得なんじゃないかな。行ってからね。英語だけを学びに行く人は英語を学ぶだけでいいのかもしれませんが、音楽を学びにいく人でも英語はいるわけだし、例えばクラシック音楽をドイツに学びに行くのであればドイツ語をしゃべったほうがいいだろうし。言葉でコミュニケートするわけだから。それが苦手で引っ込み思案になりたくないよね。それに出来が悪くてもやたら先生に食ってかかるとか。お前もういいというような(笑)。日本の子はおとなしく聞いてる。まあ今の日本知らんけども、やっぱりクラスルームをアクティブにしたほうが先生も喜ぶし。意味の無い質問することは無いけど、やっぱりなんか食い込んだほうがいいんですよね、アメリカの学校は。

—  日本人って授業では結構おとなしいですか?

井上 かもしれませんね。

—  言葉ももちろん出来ないでしょうし。

井上 相手が私のこと見てくれないの。みたいに待っている場合があるから。待ったら駄目ですね。

—  実際井上さんもニュースクールで教えている立場としてそういうことを感じるということですね。

井上 そうですね。やっぱりインパクトを先生に残す生徒はなんとなく分かりますよね。気合出しているなと。

—  そうするとやっぱりこいつはかわいがってやろうと。

井上 かわいがってやろうかというか、まあなんでしょうね。やっぱりインパクト残したほうが得やろうね。何かとね。

—  そうですよね。頭に残りますもんね単純に。

井上 先生もうれしいしね。

—  やっぱりうれしいですか?

井上 そりゃやっぱり授業終わって話しかけてきてくれるとね、質問とか。

—  いわば質問はどんどんしたほうがいいと言うことですよね。意味の無い質問は先ほど言ったように止めた方がいいでしょうけど。

井上 質問だけじゃなくて積極的に参加するとかね。クラスルームをアクティブにすることが大事ですね。

—  わかりました。本日はありがとうございました。

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【井上智カルテット~メロディック・コンポジションズ・ツアー 2007】
6月11日(月)京都:ルクラブ 075-211-5800
6月12日(火)神戸:サテンドール 078-242-0100
6月13日(水)大阪:ロイヤルホース 06-6312-8958
6月14日(木)石川:西田幾多郎記念哲学館 076-283-6600
6月15日(金)福井:響きのホール  0776-30-6677
6月16日(土)鈴鹿:どじはうす 0593-83-5454
6月18日(月)今治:ジャズタウン・プレイベント 会場ジャムサウンズ 0898-33-3023
6月20日(水)大分:ネイマ 097-567-1517
6月21日(木)熊本:エスキーナ・コパ 096-322-5353 
6月22日(金)宮崎:Cafe B-flat 0985-28-8456
6月23日(土)東京:金魚坂  03-3815-7088予約制 
6月24日(日)甲府:コットンクラブ 055-233-0008
6月25日(月)東京:Body&Soul 03-5466-3348
6月26日(火)舞浜:イクスピアリ 047-305-5700
尚、詳しい時間や料金などは各会場に直接、お問い合わせ下さい。
ツアー全体のお問い合わせはS&J ASSOCIATES(076)222-5960

 

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